マルメロ




「暑いわねー、もう勉強いやだわ」
「そうですね、こんな暑い日これ以上続けても能率上がらないでしょう、やめにいたしましょう」

クリフトには珍しいことで、アリーナの要望が通った。

「そんなに簡単に勉強やめていいとは思わなかったから拍子抜けしたわ」
「外に出ましょうか」
「えー、こんなに暑いのに…中庭で涼んでようよ、あそこ風が通って涼しいもの」
「中庭にですよ、ちょうどマルメロの実がつきだしていました」
「へ?そんなのあったっけ?」



二人は中庭に出た。吹き抜けは風が通り、涼しい。


「マルメロの果実です、姫様」
「なんだ、花梨じゃないの」
「実は少し違うんです」
「あ、いいよ、講釈は。聞いてもきっと違いが分からないわ、これ、女官達がいつもジャムにしている実よね。花もかわいいのをつけてたわね」
「ええ」


アリーナの亜麻色の髪の色に、マルメロの実の黄金色が映る。
クリフトは、本当に天使の輪がアリーナの頭にあるような錯覚を覚える。

オレンジの髪を照らす、金色の果実。



ふと、妖しい想いに駆られそうになる。

アダムとイヴは本当にこの果実を食べたのだろうか。
ヴィーナスは本当にこの果実を捧げられたのだろうか。


僕を惑わせる黄金のリンゴ。

いや。

僕を惑わせる亜麻色の巻き毛。
僕を惑わせるルビーの瞳。


あなたはわるいひとだ――――。



「どうしたの?」
「え?」


今思っていたことが、アリーナに気づかれたのではないかとクリフトは冷や汗をかく。


暑いのだ。
こんなにも暑いから。

僕はどうかしていた。



「ねえ、何か違うこと考えてたでしょ?」
「ど、どういう意味です」
「ほら、クリフトは嘘がつけないのよ。ね、もう、顔に表れてるもん」
「そ、そ、そんなことは」
「ふふ、いいのよ、早く勉強に戻らなくちゃ、と思ってるんでしょ。もう少し涼んだら、図書室に行こう、ね?」
「………え…?」
「ずいぶん物分りがいいなあって、さっき思ったのよ。ちょっと休憩させてやろうとしたんでしょ?このわがままなお姫様に。たまには叱っていいんだぞ!」

アリーナはわざと少年のような言い方をした。
そのアリーナのしぐさと台詞が、クリフトをたまらなく切なくさせたのに、当のアリーナは気づかない。



ああ、やっぱりあなたはわるいひとだ。

僕はいつまで振り回されるのだ。
どうして僕はあなたのそばで生きていかなくてはいけないのだ。

かわいいひと。
僕の愛する―――――。


マルメロのせいだ。この花の。この果実の。

「誘惑」の花言葉を持つ、この木のせいだ。


そう思って、クリフトはちょっと微笑んだ。
その柔らかな表情が、アリーナをたまらなく切なくさせたのに、当のクリフトは気づかない。





まだ落ちずに残っていた最後のマルメロの花が、二人に誘惑をしかける。
魔法をかける小さな花。誰も気づかない夏の午後。




誰かが、禁断のリンゴをかじったような声が、聞こえた気がした。




「それってわるい誘惑なの?」





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田渕由美子という漫画家がいたのです。大好きでした。
「マルメロジャムをひとすくい」という作品を読んだとき
それまでジャムといえばイチゴジャムやオレンジマーマレードしか
知らなかった私はマルメロジャムってどんなジャムなんだ、と憧れたものでした。
田渕由美子さんの作品は今読んでもおしゃれで、私は結構集めてて、今も持っている。

あの頃の「りぼん」は、田渕由美子・陸奥A子・太刀掛秀子(年がばれる)というメンバーが揃っていて
その中でも田渕由美子さんの作品は大学生の話が多かった。ストーリーも絵も、とてもおしゃれで。

かえって今読んだ方が切ない。あの頃の私は、子供もいいところだったんで(今もだ)。





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