ひとことだけ |
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「好きな人ができたの」 アリーナが突然言った。いつものように神学の授業中、いつものように長いお茶の時間。 クリフトはぎくりとするが、努めて冷静を装った。 「好きな人…ですか」 「うん。あのね、クリフトにしか言えないから聞いてほしいの。どうしたらいいか」 「何をです」 「こないだ、エンドールの王様のなんとかさんという人が来たじゃない」 エンドール王に連れられて、その人物はやってきたのだった。 エンドール王の遠い親戚の、貴族の息子だった。 表向きはは表敬訪問だったが、実のところはアリーナに婿を取らせよう、という意味があった。 身分的にも年齢的にも申し分のない人物だったからだ。 「そうでしたね。あの方…ですか?」 「うん」 「……で、私に何をお聞きになりたいのです」 「あの人に好かれるようにするにはどうしたらいいかって」 「私では、ちょっとわかりかねますが」 「クリフト、男じゃない。だいたいこんな女の子が好きだな、とかあるでしょ」 「……無理してどうこうしようでなく、ありのままの姫様でいらしたらよろしいのではないですか」 「うーん、やっぱりそうかなあ」 「やっぱり?」 「あの人ね、あ、あの人じゃ悪いわね、アーノルド様って言うんですって。少しお話したんだけど、初めて話すような感じしなかったの。それでね、私が元気いっぱいなのでちょっとお姫様のイメージと違ったけど、それがすごく新鮮だったんですって。今までそんなこと言ってくださる方は一人もいなかったから、私とてもうれしかったの。それでね、アーノルド様はね――」 クリフトは、もうあとは聞いていなかった。いや、聞きたくなかった。アリーナの弾む声が、頭の中でこだまして変な音になったかのようだった。 「聞いてるの?」 「は?あ、はい、もちろん聞いてますよ」 「じゃあ早く言って」 「何をです?」 「もう!聞いてないじゃない!私はアーノルド様の所に呼ばれてるの。だから何着ていこうかって!」 「………女官長様にでもお尋ねになればよろしいではないですか。私に姫様のドレスのことなんかわかるわけないでしょう。それよりもうお茶の時間はおしまいです!早く本をお開きください!」 「……クリフト。何怒ってるのよ」 「………別に怒ってなど」 「つまらないわ。もう今日勉強やめる。女官長に服のこと聞いてみるから」 アリーナは本を投げ出すと、図書室を出て行った。 クリフトは本とお茶の後片付けをしながら、情けない思いをしていた。 最初からこういう日が来ることは決まっていたのだし、姫様は自分を頼って相談してくださったのに、感情のままに行動するなんて、なんて情けない人間なのだ、私は。 「あ!」 ティーカップを手から滑らせてしまい、床にかけらが広がった。粉々にくだけたカップのかけらは、今の自分のようだった。 一言。 一言、好きですと言っていれば。 いや、変わらない、きっと、何も。 それは姫様を困らせるだけだ。 でも。 でも姫様が行ってしまわれる前に。 一度だけ。 一度だけ、言いたい。 「あなたが好きです」と。 それでどうにかなるわけではないけれど。 いや、なってはいけないのだけど。 言ってしまったら、もう今までの関係には戻れない。 今までの態度ではいられない。 言ってはいけないのだ。 今、お幸せになられようとしているあの人に。 幸せを壊すようなことは。 頭の中で、ぐるぐる言葉が回りだす。 たったひとことだけ。 それだけなのに。 どうして、いってはいけないのだろう。 だれが。 いってはいけないときめたのだろう。 割れたカップで指を切った。 指から血が出てくるのをじっと見ていた。 血が粒となって溢れてくるのを見て思う。 たまりにたまった言葉のようだ。 ついには溢れて流れ出す。 だから自分の想いは溢れさせてはいけない。 ホイミ。 指からの血は止まった。 こんな呪文のように。 一言で想いを断ち切ってしまえるような言葉があればいいのに。 ――――あなたが好きです。 それから一年。 ご結婚おめでとうございます。 クリフトのアリーナへの最後の一言。 |