ぽろぽろ



パーティは疲労のきわみにあった。毎日続く戦闘。息もつけないほどの緊張感の毎日。
ソロは、もう今日は戦闘は休まなくてはと思い、しばらくサランの町に滞在することにした。
昨日はサントハイム城で、バルザックと長い戦いの末勝利をおさめたが、城の人々は戻ってこなかった。落胆したアリーナたちを見ると、ソロにはその気持ちがよくわかって辛いものがあった。

アリーナはサントハイム城に来ていた。勇者一行はサランで武器調達をしたり、宿でゆっくり休んでいた。
しかし、どうしてもアリーナはサントハイム城を見たかった。

今は魔物の巣窟のサントハイム城も、アリーナには懐かしい。
聖水を使ったので、しばらくモンスターはアリーナに近づけなかった。もちろん今のアリーナには、ここのモンスターなどなんでもないが、一人きりの時間を邪魔されたくなかった。

中庭に出てみる。
この庭でアリーナは勉強をサボってはクリフトを困らせたり、兵士相手に武術の練習を始めブライや国王を嘆かせたものだ。花が咲き乱れた中庭は、アリーナのお気に入りの場所だった。
しかし今、ここは花は踏みにじられ、美しい装飾のほどこされた柱はなぎ倒されて見る影もない。

ベンチに腰掛けため息をついた。なんだか悲しくて、みんなと一緒のときは決して見せない涙が止まらなくなった。
ぽろぽろぽろぽろ。
どうしてこんなに涙が止まらないのか、アリーナにもわからない。
ただ次から次へと涙があふれてくる。
ぽろぽろぽろぽろ。
前にアリーナが寝ころがった芝生に涙が吸い込まれていく。それを見ていると余計涙腺が緩む。嗚咽になっていた。

「お父様…。大臣…神父様…城のみんな……。どこ行っちゃったのよ、私を一人置いて…。お父様、私を叱ってよ、今すぐここに来てよ…」
泣きじゃくりながら、周りを見ると、もちろん誰もいなくてモンスターだけが我が者顔に歩いている。
泣きはじめてからどれだけ時間が経っただろう。
アリーナは眠くなってきた。聖水の効き目もやがて切れる。
眠ってはいけない、サランに戻らなくては、そう思うのだが、泣き腫らしてまぶたとまぶたがくっつきそうになっている目と、疲れきった体は言うことを聞いてくれなかった。
アリーナはベンチに横たわった。

それからどれくらい経ったのだろう。気づくとアリーナは自分のベッドで寝ていた。
そしてクリフトが目の前の椅子に座って本を読んでいる。クリフトが顔を上げた。
「お目覚めにになりましたか?」
「あ、あれ?どうして?どうして私、ここに?」
「姫様はベンチでぐっすり眠っておいででした。さしでがましいとは思いましたが、姫様をここにお連れいたしました。あそこでお休みになっていては、いつモンスターに襲われるかわかったものではありません」
まだ頭がはっきりしない。泣きすぎたせいで、頭が重い。
「クリフト、サランで休んでたんじゃ?」
「ちょっと自分の部屋に大切な忘れ物をしたことを、先ほど急に思い出したのです。それで城に参りましたら姫様が眠っておられました」
急に思い出すなんてそんなのは大した忘れ物ではない。
クリフトはあまり嘘がうまくない。忘れ物なんて嘘に決まっている。
だがアリーナはあまり頭がうまく働いていないせいで、それには気づかなかった。
「そうなんだ、私あのベンチで眠ってたのね……え?じゃ、じゃあクリフトがここまで運んでくれたの?」
「失礼いたしました」
「あ、そうじゃなくて」
アリーナはクリフトをじっと見た。
クリフトは男性にしては細い。その体で自分を抱きかかえたまま、3階まで上がってこられたのだ。
クリフトはアリーナにまじまじと見られて、顔に血が上ってくるのを感じる。
「あの、姫様、私の顔に何かついておりますか」
「クリフトって意外と力持ちなのね。びっくりしちゃった」
クリフトは苦笑した。
「一応男をやっておりますので」
「そうね、これは失礼いたしました」
アリーナはクリフトの口真似をして、笑った。

「姫様」
「何?」
「姫様は一人ではございません」
アリーナの顔は一瞬青くなり、そして赤くなった。
さっきの醜態(と自分では思う)を見られたのかと思うと、それを黙って見ていたクリフトに憎悪の念さえ沸く。

「人が泣いているところを盗み見していたのね、ひどいわ、クリフトは」
「姫様、そうではございません」
「だって私は涙を見せないようにしてたのよ、それなのに、それなのに…。泣いてるところを人に見られたくなかった、いるなら声をかけてくれればいいじゃない。覗き見するなんてクリフトって悪趣味だわ!」
「泣きたい時は涙が枯れるまで泣いた方がいいのです。そのほうがすっきりしますから。ですから声をかけなかったのです」
「………」
「姫様はとてもお強い方です。いつもみんなの先頭にたって、戦っておられます。でも戦闘での強さを、自分の心の強さに置き換えることは、なさらないでよろしいのではありませんか」
「…どういうこと」
「自分で自分のことを強い心の持ち主だと決め付けないでください、と申し上げているのです」
「なんか失礼な言い方ね。私がいつもめそめそしてるみたいじゃない」
「言葉が足りなかったのならお詫びいたします。でも、姫様。心が風邪を引くこともあります。泣きたいのをこらえて、苦しい思いをなさらなくていいのです。涙を人に見せてしまってもそれは恥ずかしいことではありません」
「恥ずかしいわ」
「少なくともこのクリフトの前では、弱い部分をお見せになっても恥ではありません。姫様がお辛いのは、私にもよくわかっております」
「………」
「ですが辛い思いをしているのは姫様だけではありません」
「………」
「ソロさんも村の方々をすべて失っておいでです。ライアンさんは、親しいご友人をなくされました。マーニャさんたちは、ようやくお父君の仇を取られましたが、それで悲しみが消えるということはないでしょう」
「………」
「でも皆さんはもっと素直に涙を流されておられます」
アリーナは噴き出した。
クリフトの言い方がおかしかったのだ。笑うところではないと思いつつも、こらえられなかった。
「なに、その言い方」
「姫様、だから泣きたい時は存分に涙を流されてください。そしてその後は笑顔をお見せください。姫様は笑顔のほうが素敵ですよ」
「そんな風に思われてるから泣けないのよね」
「あ、いえいえ、その、私の前では、どんどんお泣きになってください」
またアリーナは噴き出した。

「少しは気分がよくなりましたか?」
「え?」
「たくさん泣いてたくさん眠る。悲しみは消えませんが、それでも心はずっと楽になります。悲しいときはたくさん泣いて心を楽にしてあげるのです。心の風邪はホイミでは治りません。悲しいときには泣けるだけ泣いてください。私がおそばにおりますから」
「…そうする」

「それに、先ほども申しましたが、姫様はお一人ではありません。皆さん心を一つにして悪と戦っているのです」
「うん、そうよね」
「はい」
「クリフトが私のそばにいるのよね、これからもずっとずっと」
「ええ、ずっと姫様のおそばに…って、その、そういう意味では」
「ううん、クリフトがいないと私泣きたいときに泣けないじゃない。ね、ずっとそばにいてね、約束よ」
「はい」
クリフトの頬に赤味が差したのをアリーナは気づかない。しばらくアリーナは天井を見つめていた。そしてクリフトのほうに向き直った。

「姫様」
「いいの、もう大丈夫。泣くだけ泣いたらすっきりしちゃった」
「何よりでございます」
「じゃあ、ちょっと魔物と一戦交えてこようかな!」
「聖水ももうございません。私も賛成です」

「あ、その前に」
「何でしょう」
「クリフトも悲しくて涙が止まらないことがあったの?」
「いえ、もう慣れました」
「?」

「それに悲しくはないのです、今は」
「??」
「でも覚えておいてください。姫様が悲しいときは私も悲しいのです」
「うん、わかった」

クリフトはアリーナの手を取りベッドから起こした。
「お姫様みたいね」
「お姫様です」
「ふふっ、そうだった」
ドアを開けると、モンスターの襲撃。アリーナとクリフトは、うっぷん晴らしのように次々と倒していった。サランに戻る頃には、二人の手にはたくさんのゴールド。





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