春の嵐




ああ、まただ。
この部屋からも厨房の大騒ぎが聞こえる…。
「また始まったようですね」
神父様も、心得たもので、部屋を出て行くことさえなさらない。
「まったく姫様にも困ったものです」
私も内心あきれながら、通常の作業をしている。

今日は何をなさったのだろう。
おやつはまだか、との催促?
火の入った天火をひっくり返した?
もしかして、こないだみたいに、水を厨房中にあふれさせたのでは?

軽いため息を私はついた。そろそろ出て行く時間だ。
相変わらず、厨房から聞こえてくる、騒がしい音…。

「神父様、ちょっと厨房を見てまいります」
私は、なんと言って姫様をお叱りしようか考える。



厨房のドアを開けたら、修羅場かと見まごう光景。
料理長も給仕長も侍女たちも、口をへの字に曲げて立っている。
床には、割れた皿と、派手にこぼれた小麦粉と、10個は砕けていると思われる卵。


「姫様、後は私たちがやりますので、どうか、テーブルでお待ちくださいませ」
「だから!私は、おやつを食べたいって言ってるわけじゃないの!」
「しかし、ケーキをお焼きになりたいってことは、おやつの催促でございましょう?」
「失礼しちゃうわ!」


姫様が私に気づく。

「あ、クリフト。いいとこに来たわ、ね、みんなに言ってよ、私、ケーキを焼いてみたいのよ」
「はあ、しかし、どうして、そうお思いに?」
「焼いてみたいからよ」

相変わらず、若干かみ合わない会話に苦笑する。

「皆さんはお困りのようですよ」
「それよ、何で、私が厨房に来るとこんな大騒ぎになっちゃうのかしら。さっき、卵を割ったら、ぐちゃぐちゃになっちゃうし」
「……姫様は、料理の経験がございませんので」
「だから習いに来てるんじゃないの」

いまさら、花嫁修業でもあるまいし、どういう風の吹き回しかと思う。

「姫様、私たちがテーブルに戻った方が、早くケーキが焼けますよ」
「それじゃだめよ」
「なぜです」


姫様は、急に大声を出す。
「今日は何日?」
「3月14日ですが」
「そう!3月14日!世間ではホワイトデーと言うそうよ」
「どこでそのような知識を」
「侍女たちが騒いでいたわ。なんでも先月の14日、クリフトはたーくさん、チョコをもらったんですってね」

侍女たちが口々に騒ぎだす。
「姫様、私どもがクリフト様にチョコレートを差し上げたのは他意はございません!」
「私たち、いつもクリフト様にお世話になっておりますので、せめてものお礼にと」
「こういうチョコを私どもでは義理チョコと呼んでおりまして…」
「姫様がクリフト様をお慕い…」
侍女の一人が余計な口を挟みそうになり、他の侍女に肘をつつかれたのを、私は頬を少し赤くして見ていた。


姫様はさもありなんという顔をする。
「とにかく、チョコレートをもらったんでしょ」
「ええ、まあ…」
「そして今日はそれにお返しをする日なんですってね」
「はい、ささやかながら、私もハーブのクッキーなど先日焼いてみまして…」
侍女たちがキャーッと声を上げる。

姫様は、一瞬侍女たちの方を見たが、すぐ私のほうに向き直る。
「先月の14日が、チョコレートの日だったら、私だってクリフトにあげてたのに!」
「え?チョコレートの日、ですか?」
「そうよ!みーんな、あなたにチョコをあげて、私だけ知らなくて、みっともないったら」
「…………」
「だから、今日チョコレートケーキをクリフトに焼いてあげようと思ったのよ!それなのに、みんな邪魔するんだもん!」
「…私にですか?…あの、なぜ?」



「鈍感ね!」
姫様はキレ気味に声を張り上げる。
「私があなたからクッキーをもらいたいからに決まってるでしょ!!」
「え?」
「あなたが最近、ハーブ入りのクッキー焼いてたの知ってたわよ。厨房からいい匂いしてたもの。それで、てっきり私とお茶してくれるのかなあ、と思ってたら、なんでも3月14日には、クッキーとかマシュマロとかキャンディとか女の子に返す日だって言うじゃないの。みーんな、それ知ってて、あなたにチョコレートあげて、私だけ置いてけぼりよ!毎年そうだったのね!」
「…………」
「私だって、私だって、クリフトからクッキーもらいたいのに……。先月のチョコレートの日にそれ知ってたら、私だって…」
「あの、先月の14日はチョコレートの日、というわけではないのですが」
「どうだっていいわよ!そんなこと!とにかく私もあなたのクッキーが食べたいの!」


侍女たちは、姫様の剣幕に恐れをなしたのか小さくなっている。
「あの、姫様、私どもは、お返しなど要りませんので、どうぞクリフト様とクッキーをお召し上がりになって…」
「冗談じゃないわよ」


「私は『クリフトのためだけに』チョコレートケーキを焼きたいし、クリフトから『私のためだけに』クッキーを焼いてもらいたいの!その、義理チョコとかそんなんじゃなくて、オンリーワンチョコなの」
「姫様、それは本命チョコと申しまして…」
侍女の一人が余計な口を挟みそうになり、他の侍女が足を踏んづけたのを、私は赤面しながら見ていた。
「とにかくそれよ」



轟々たる風が吹き荒れる。
ピンク色の強風が吹き荒れる。

姫様の嵐。
ああ、なんて素敵な春の嵐。


姫様の怒りについ私は頬が緩みそうになる。いけない、いけない。
平静を装い、姫様に申し上げる。


「姫様の分は、ちゃんと別に焼いてありますよ」


瞬間、真っ赤になった姫様を見て、私は最良最強のホワイトデーだと確信する。
姫様が連れてきた春の嵐。

なんて素敵で。
なんて幸せな。

ああ、神様、こんなに素敵な春の日をありがとうございます。



「何、にやけてるのよ」
「え?」
「さっきから、気持ち悪いったら」
「そ、そうですか、すみません!」
「言っとくけど、私があなたからクッキーをもらいたいのは、その、あの、別に意味はないのよ、ただ、クリフトの焼くクッキーはおいしいし、ちょっとお茶したいからであって、別に」



厨房中の全員が噴き出した。



「何がおかしいのよーっ!!」


姫様は真っ赤になって絶叫した。



神父様がようやく厨房にお越しになる。
「やれやれ、Spring stormですか、いや、これはJealousy stormでしょうね」
「ち、違いますよ、神父様」
私は慌てて否定する。
「嬉しいのでしょう?」
「神父様ともあろう方が下世話なことです!」
神父様はクックと笑っておられる。


「何がおかしいのですか!!」

私は、先ほどの姫様に勝るとも劣らぬ声で絶叫した。



厨房中の全員が凍りついた。






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「春の嵐」というタイトルだと、たぶん恋人の仲違い、すれ違いというコンセプトの作品が多いと思いましたので
あえて、それは書かないようにコメディタッチにしようかな、と。DQ世界にバレンタインデーはないでしょうけど…。
ストーリーも起承転結もちょっと甘いですね。








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