月夜



下弦の月が昇る、もういまは真夜中。
さっきまで闇を照らしていたそれは、今は雲の中に隠れ、白亜の城の薄暗いバルコニーにふたり。


「寒いですね、姫様、そろそろ部屋に戻りましょう」
「少し冷えてきたね、でもいい、もう少しここにいる」
「お風邪を召しますよ」

クリフトは、アリーナに駆り出されてバルコニーで、月を見ることになったのだが、こう寒いとアリーナの体調が心配になる。
アリーナは、寒さなどお構いなしのていであるが、どこか物憂げに見える。
そう見えるのは、空気が冷たいせいなのだろうか。


ふとアリーナが言った。

「ねえ、クリフト。今、月が隠れてるでしょ」
「ええ」
「月が消えると、さっきまで浮かび上がっていたサランの町も寂しく見えるね」

バルコニーから見る城下町サランは、今は闇に沈み、家からの明かりもぽつぽつ消え始めた。

「こんな風に、月がちょっと隠れただけで、もう辺りは雰囲気を変えてしまうんだよね」
「姫様?」

なんだか今夜はアリーナの感じが違う。
クリフトは少し怪訝そうに、アリーナを見た。


「……クリフト、大聖堂に行くんでしょ」
「はい?」
「お父様から聞いたわ。あの移民の町は、今はもう徳の高い神父様ばかりがいらっしゃる大聖堂になっている…。そこにクリフトも、派遣されるようになったんでしょ」
「派遣とは違いますが…、その、3年ほど、あちらで勉強させていただくことになったのです。この城の神父様が、とりなしてくださったおかげで。姫様には内緒にしておいたのですが、国王陛下が仰ったのなら、仕方ないですね」

「楽しみ?」
「…ええ、それはいろいろと勉強させていただけるのですから……、姫様?」
アリーナを見て、クリフトは仰天する。大きなルビーの瞳からあふれそうな涙。


「月は、雲が隠してしまったら見ることはできないわ」
「………?」
「私は……私は…いなくなってしまったら、光を…見ることはできないわ」
「なにがいなくなるのです?」


アリーナはクリフトをきっと見るなり
「クリフトのバカーッ!」
大声を出してバルコニーから駆け出した。

「ひ、姫様!」
あわてて、アリーナを追う。

廊下でようやくアリーナを捕まえた。

「いったいどうなさったんですか」
「…クリフトは…クリフトは…私がいなくても……平気なのね…」
しゃくりあげるアリーナの声は、途切れ途切れになる。

「もしかして私がいなくなるとお思いだったんですか?」
「ち……ちがう…の?」

クリフトは微笑んでいた。
「大聖堂は、ここからすぐそこですよ、歩いてでもすぐです。私は、ブライ様のルーラで通うことになっているんです」
「……へ…」
あっけに取られたアリーナは、空気と声が混じって出て変な声になった。


「じゃあ、じゃあ、ずっとここにいるの?サントハイムに?」
「ええ」
「な、なーんだ、そうだったのね、や、やだなあ、もう、私ったら」
アリーナは赤面していた。



いきなり抱きしめられる感触に、アリーナは身を硬くした。
「知りませんでした、姫様がそんなに想っていてくださったなんて」
「ち、違うのよ、その、ほら、クリフトがいないと、ね、お茶とかいっしょにできないし」
「聞いていません、私は何にも聞いていませんよ」
「違うんだって!」
「聞こえません」



抱きすくめられて、温かくなって。
外は、月夜は、こんなに寒いのに。
クリフトがいつもお茶をたててくれる。
そう、この香りはハーブの香り。

どんな高い香水も、この香りにはかなわない。大好きなハーブの……。




下弦の月は、今は雲間から、慌てる神官を映し出す。

「ひ、姫様!こんなところで、お休みになっては!だ、だれか、女官長様はおられませんか?」



そして、クリフトは、あらぬ疑いをかけられ、ブライと女官長にこってり絞られる、今宵。
月はどうやら笑っているらしい。










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