刺繍



「はー」
「はー」
何度も繰り返されるため息だがだんだん大きくなる。
「姫様。もっと集中してなさらないとケガをしますよ!」
女官長がアリーナを叱る。
「だってこんなのつまんないものー。あーあ外で、体動かしたいなあー」
アリーナはこの部屋でさっきから、刺繍をやっている。いや、やらされている。
貴族の娘は、刺繍を趣味にするものも多い。またたしなみとして、身に付けることが半ば習慣である。
もちろんアリーナにとってはこんなつまらないものはない。
ただだらだらと針を動かしているだけである。
そんな調子だから、針を指に刺すのも当然といえば当然である。
「いたぁっ!!」
「ほら!姫様、申し上げたでしょう!!すぐ薬箱をお持ちしますから!」
「ああ、いいわ。クリフトのところに行ってくる。クリフト、ホイミ使えるし」
「姫様!!」
無論抜け出す口実なので、女官長は大声を上げたが、もうアリーナはいない。


いつもは乱暴気味に開ける扉を今日は静かに開けた。だんだん痛くなってきたのだ。血が固まりになってたまってきた。
クリフトは本を読んでいたが、神父が入ってきたのかと思い椅子から立ち上がった。
アリーナを見て驚く。
「姫様?きょうはずいぶんお静…あ、ケガをなさったのですか!」
慌ててアリーナに近寄る。
「うん。ちょっとね、針を刺しちゃって」
「消毒しないといけませんね」
「いいよー、ホイミで。ね、クリフト、ホイミかけて」
「ホイミでは傷口の消毒はできませんので…針を刺したのでしたら、消毒も」
そう言いながらてきぱきと、クリフトは塗り薬などを用意する。
「キアリーじゃだめなのかな?」
「キアリーはモンスターの発する毒を解毒するものですので、これには効かないですね」

「姫様、こちらにお座りください。これはハーブを調合してあって、消毒効果も高いんですよ。指を…」
クリフトはアリーナの指を取って、消毒しながら、黙り込んでしまった。
今までこんな風に、じっくりとアリーナの手をとったことはない。
(姫様の指はこんなにも細かったのだろうか?あの会心の一撃は、こんなか細い指から繰り出されるのだろうか?)
頭に血が上ってくるのがわかる。
アリーナのほうも手をとられて、顔が赤くなり始める。アリーナとしても、こんな風にしっかり手をとられたことがない。
(な、なんで?クリフトに手をとられただけで顔が!?)
クリフトに気づかれなければいいのだけど、と思う。

二人とも心臓の鼓動が速くなって、お互いに相手に聞こえてなければいいのだがと思っている。

「消毒はこれでいいですね、ではホイミをかけておきましょう」
アリーナの指にホイミをかけた。
ほっとして、改めてお互いを見ると、治療のせいで、顔と顔がくっつきそうな位置に座っていた。

「あ……」
声にならない声が二人とも出た。急いで少し離れる。


「そもそも、どうして指に針を?」
やっとクリフトは気持ちが落ち着いてきて、質問した。
「うん、刺繍してたのよ。でも私、あんな細かい作業向いてなくって。やっぱり体動かしてたほうがいいわ」
「姫様らしいですね。ただ私は姫様の作品を拝見してみたいとも思いますが」
「そう?」
「はい」

「そういえばここにも刺繍が飾られてるわね」
壁に絹取りの刺繍が飾られている。
「あれは?」
「ああ、昔母が作ったものです」
「お母様が?」
「はい」
「そっか……」
クリフトの両親はすでに亡くなっていた。
クリフトが幼い頃から神官としての道を歩んだのは、自然の流れでもあった。サントハイム城にアリーナの遊び友達として引き取られたその頃から、サラン教会の神父に神の道を学んでいた。

母を亡くしているアリーナには、クリフトの気持ちがよくわかる。


アリーナはいきなり立ち上がった。
「姫様?」
「クリフト、私ちょっと用事があるの!またね!」



それから数日は、アリーナは外にも出ず、ずっと室内にこもりっきりだった。
口さがない商人などは「お姫様はご病気ですか」などという始末。
サントハイム王もブライも、アリーナに何かあったのではと心配するが、食欲はいつものように旺盛だし、元気はありあまっている様子なので「ついに姫も女らしくなって、武術の稽古もやらなくなった」と喜んでいた。






BACK  MENU  NEXT