そう。アリーナは刺繍をしている。 刺繍をしたいと初めて思った。 なぜそう思ったのかわからない。 でもそうせずにはいられなかった。 指をケガしながら、女官長に注意されながら、一針一針、刺してゆく。 そして数日後、それはできあがった。 青い海が描かれた刺繍だった。 ただしお世辞にも良い出来ではない。ところどころ、刺繍がダマになっているし、刺繍糸を強く引きすぎたのか引き攣れている部分もある。 女官長も、出来が悪いことはわかっていたが、初めてアリーナが作ったのだし、こんな作品を人に見せたりしないだろうと思って、完成させたことだけを褒めた。 次の朝。アリーナは教会へ駆け込んだ。 「クリフトー!」 今日はいつものように荒々しい扉の開け方だ。 「お誕生日おめでとう!!」 「え?」 「今日お誕生日だよね?」 「ええ、まあ…。でもなぜ?」 「侍女たちが騒いでるし…知ってるわよ、クリフトの誕生日くらい」 「ありがとうございます」 「これ見て!!」 ファサッという音をたて、目の前に青い海の刺繍が広げられた。 「これは……?」 「うん。あれと対でいいかなあ、と思って」 アリーナは壁の刺繍を指差した。 クリフトの母親が刺した刺繍は、青い空に白い雲がまぶしく映る綺麗なものだった。 「なんかその刺繍が寂しそうだったの」 「……姫様」 突然アリーナの表情が暗くなった。 「だけど……こんなんじゃ、下手すぎて全然不釣合いだね……」 アリーナはじっくり壁の刺繍を見た。自分のとは全然違う。一目見て違いがわかる。 「姫様。このクリフト、こんなに綺麗な刺繍ははじめて見ましたよ」 「下手なお世辞はいいよ……あれとこれじゃ全然……」 「でも、これはすごくあたたかい絵です。ここの刺繍は……私の母と私ですよね?」 青い海の横に、女の人と小さな子供が縫い取ってある。 「うん……。あの刺繍、空と雲のほかには何もなくて……だから…海を歩くクリフトとお母様を入れれば…きっとお母様も喜んでくださるんじゃないかって……だけど、今あれを見てわかったわ。こんな下手じゃ恥ずかしくて飾れないわね……」 「とんでもないです!姫様!私はもうなんと申し上げていいか!こんなにうれしい誕生日は初めてですよ!」 クリフトが嘘をついてないのはわかる。 アリーナは真っ赤になった。 「そ、そう?だったら良かった」 クリフトに見つめられて、ドキマギして下を向いた。 クリフトはもう一度アリーナの刺繍を見た。よく見れば海の青い糸が、ところどころ赤くなっている。アリーナが一生懸命作ってくれたのがクリフトにはわかって、思考より先に身体のほうが動いていた。 「姫様」 「え?」 いきなりきつく抱きしめられて、アリーナは慌てる。 「な、な、何するのよ、ちょ、ちょっと」 「じっとしててください」 「じっとって、ねえ、あ、ちょっと、ねえクリフト」 痛い。 こんなにクリフトは力があったのかしら。 だけど……なんだかあったかい。いやじゃない。 むしろ。 このまま。こうしていたい。 ああ、そうだ、この匂いはクリフトの。 ハーブが香る神官服の。 なんだか…眠くなっちゃった。 そういえば最近、ぐっすり寝てなかったかも……。 「姫様!姫様!起きてください!」 アリーナは力が抜けて、がっくりと体をクリフトに預けてしまった。 こんなところを誰かに見られたら!陛下やブライ様に見られたら! もうこんな時間、すぐに神父様がお見えになる! 姫様、起きてください!! 思わず抱きしめてしまった、ああ、どうか神様!私をお許しください!! あたふたしているクリフトを見る刺繍の女性は、優しく微笑んでいるようだった。 |