突然静けさが破られた。外が騒がしくなっている。
教会のほうから大きな声がした。

「神父さーん!いるかあ!神父さーん!」
クリフトはあわてて自分の部屋から教会に戻る。
「あの、いつも申し上げておりますが、私はまだ神官の身でして」
「そんなのはどうでもいいよ、それより早く来て欲しいんだ」
「どうしました」
「海で船が沈んだんだ。大きな船だよ。みんな助けたんだけどさ、けがしてる人もいるんだ。あんた回復呪文使えるんだろ?」
「すぐ参ります。案内してください!」
海岸では村中総出で、遭難者を救出していた。幸い避難が早くて、死者は出なかった。ただ若干のけが人がいるようだ。クリフトはあちこちでホイミをかけることになった。
そして一人の男を見て、一瞬言葉を失った。以前肖像画で見たことがある。間違いなくローゼン国の王子だった。今はサントハイム王国の王女の娘婿、つまりアリーナの夫だ。
その彼が口を開いた。
「あ…この村の神父様ですね…大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません……。私たちの船が沈んでしまって……この村の方々にも、とんだ災難をひき起こしてしまって……」
「ここの方は、皆さんお優しい方ばかりですから、どうぞお気になさらずに」
「…妻は、妻はどこにいるのでしょう」
クリフトはどきりとする。アリーナがこの船に乗っていたのか。
その時向こうからこちらに駆けて来る元気な足音。誰のものかクリフトにはすぐわかった。
「あなたー、大丈夫ーっ?あらー、そこにいるのはクリフトじゃない!?」
ずっとクリフトの心を捉えて離さない人が目の前に現れた。
「姫様……」


宿屋のないこの島では、たくさんの人を休ませる施設がないため、教会が代わりに充てられることとなった。村人が、あれこれ手助けをしに来てくれている。けがのない人々は、村人たちの家の風呂に案内された。
遭難者のけがはクリフトのホイミで完治したが、ショックで眠れないようだった。そのため、ラリホーを覚えている村人が、彼らを眠らせてくれた。アリーナの夫も眠りについた。しばし教会には静寂が訪れた。

アリーナがバスルームから戻ってきた。
「あ、クリフト、どうもありがとう。助かったわ」
「姫様はお休みにならないでよろしいのですか?」
「ちょっとちょっと、クリフト。もう姫様はないでしょ。今はサントハイムに勤めているわけじゃないのに」
「しかし、ほかに呼び方を思いつかないもので…」
「私なら大丈夫。だいたいあれくらいの浸水、みんなさっさと海に飛び込んで泳げばいいものを、全くみんなだらしないんだから」
クリフトは相も変わらずのアリーナに苦笑した。

アリーナが眠くないというので、クリフトは部屋でお茶をすすめることにした。

アリーナは久しぶりにクリフトの部屋を見ることになった。10年前は毎日のように、クリフトの部屋に行っていたなあ、と思う。
あの時もそうだったが、今もきちんと片付いている部屋だ。でも殺風景な部屋だ。
本棚にはたくさんの本が並んでいる。
テーブルの読みかけの本をクリフトが本棚に押し込んだ。そのワインレッドの本の背に、アリーナは見覚えがあった。金の縁取り文字で「信仰と祈り」とある。初めてクリフトの本を盗み見したとき、自分のブロマイドが出てきてアリーナは驚くやら恥ずかしいやら、とんでもない気持ちになったことがあった。
(クリフトは今でも私のブロマイド、持ってるのかな。いや、きっと捨てちゃっただろうな)
そんなことを思い、一人で笑ってしまった。
紅茶の香りが部屋に漂ってきた。
「いいオレンジペコが手に入ったんです。少し蒸らすのに時間がかかりますが」
「オレンジペコって、オレンジの味の紅茶なの?」
「いえ、オレンジ味じゃありません。本来は葉の大きさの分類ですね」
「よくわからないわ」
「お茶を楽しむのに、理屈は必要ないです。もういい頃ですね、どうぞ」
いい香りがする。そういえばいつもあの部屋で紅茶を淹れてくれたっけ。
「うん、とてもおいしい。やっぱりクリフトが淹れる紅茶が一番おいしいわ」
クリフトは静かに微笑んだ。






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